水道橋で働く新規事業ディレクターの営業日誌

ディレクターと言いながらも営業を中心に基本的に何でも屋。その他子育て、または野球。新規事業/AI・人工知能/感情分析/UI・UX/リサーチ/セールス/スケール/マネジメント

20年目の突発性難聴

高校3年生のGW前、突然のめまいと耳鳴りが起こり、左耳が突発性難聴になりました。病気になった直後より様々な治療を行いましたが、結果としては、突発性難聴は治ることはなく、左耳の聞こえが悪い状態のまま、20年目(20周年)を迎えました。

病気の原因は不明のままで、特に疲れやストレスもなく過ごしていたので、本当に「運が悪かった」だけなのかな、と思います。若いうちは発症後1か月以内に50%くらいは良くなるという言葉を信じ、発症直後から、病院へ通いましたが、治療の甲斐なく聞こえ方が悪いままで固まってしまいました。

 

左サイドからの聞こえは少し弱点があるものの、日常生活に大きな支障はなく、耳鳴りも寝る前に「あー鳴ってるなー」程度にしか感じなくなりました。

発症直後は、高校野球も最後の大会前だったこともあり、かなり自暴自棄になり、体をなるべく動かさないという言いつけは守ったものの、「うるさいところへは行かない」は守れませんでした。カラオケ、パチンコ(高校が私服だったため、不運にもばれることはなかったです)、大音量で音楽を聞くなどなど、今思えばなぜそんなことをしたのか不明ですが、とにかく、勉強も野球も嫌になった時期でした。

 

しかし、1か月後の診断で聞こえ方が固まり、一生治らないとわかってからは思いっきり開き直ることができました。少しだけなら体を動かしても良いということで、野球部の練習に参加。入部当初の1年生と一緒に球拾いや練習の手伝いを行いました。

 

特に強烈に思ったわけではないですが、その当時から「外部環境は変えられない(コントロールできない)」「起こってしまったことは変えられない」。その状況を踏まえて次に何をするか、を考えるくせを体を張って身に着けたと実感してますし、仕事をしていく上でも基本的な考え方としております。

 

そう考えると、あの時期に病気になったことは悪くはなかったと思いますが、もし神様に一言文句を言えるのなら、「野球が終わってからにしてくださいよ~」と言いたいですね。起こってしまったことは変えられませんが。。。

 

そんな感じでこの耳鳴り君とも20年目の付き合いとなります。これからも悪さをしないようによろしく。