水道橋で働く新規事業ディレクターの営業日誌

ディレクターと言いながらも営業を中心に基本的に何でも屋。その他子育て、または野球。新規事業/AI・人工知能/感情分析/UI・UX/リサーチ/セールス/スケール/マネジメント

バイト先が連続で閉店したときのお話(1)

高校3年生の時に突発性難聴になり、左耳の聞こえが悪くなりました。そのとき思ったこと、感じたことはいま現在の自分の考え方に大きく影響を与えています。そして、この考え方をしていこうと決定づけたのが大学生時代のアルバイトでした。

大学で上京後、お金(生活費)を稼ぐ必要があったので、飲食店で週5日~7日アルバイトをしていました。食事つきということで、飲食店でのアルバイトを迷わず選択。バイト先はしゃぶしゃぶorすき焼きの食べ放題店でした。

 

郊外のロードサイド店で、規模も大きく土日を中心に繁盛していたお店で、チェーン展開していましたが、20店舗近くあるうちでも売上はベスト3に入るほど。そこで、時間帯管理者とかいう名前で、店舗運営(アルバイト採用と教育研修、シフト作成、棚卸しと各業者への発注、本部への連絡、クレーム処理、人で不測の際の出勤などなど)を行っていました。要は社員がいなく(定着せず)、アルバイトだけでお店をまわしていました。(当時は飲食店の社員がきつくて定着しないものだとは思っていなかった・・)。時給は1000円行かなかったと思います。

 

そのアルバイト先を直撃したのが2000年代初頭の狂牛病BSE)問題。報道直後からみるみる客数が減少し、土日でもガラガラの状態。当然売上は全く上がらず、本部の意向で1か月後に閉店が決まってしまいました。外部環境に対して何も手を打つことができず、ただ本部の決定に従うしかありませんでしたが、まだ学生アルバイトだったこともあり、「まあしょうがないか。」と思うのが精いっぱいでした。閉店の手続きや後輩アルバイトへ次のアルバイトを探すよう話したり、こんな中でも来店されるお客さんに閉店の事情を説明したり、たんたんと業務を行い、19歳にして職場が閉鎖される経験をしました。

 

アルバイト先が無くなったため、次のアルバイト先を探し、やっと見つかりました。

しかし、そのアルバイト先も・・・。

続きは次回に。